カテゴリー「歴史・戦国武将」の29件の記事

2008年6月24日 (火)

『のぼうの城』

Photo_2  『時は乱世。 天下統一を目指す秀吉の軍勢が唯一、落とせない城があった。 武州・忍城。周囲を湖で囲まれ、「浮城」と呼ばれていた。
 総大将・成田長親は、 領民から「のぼう様」と呼ばれ、泰然としている男。 智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ「人気」があった・・・。』

 豊臣秀吉、天下統一の仕上げの小田原北条氏攻めの際、総大将石田三成と大谷吉継率いる二万数千の軍勢が、わずか二千の兵で籠城する忍城を落とすことが出来なかった。小田原開城時に残った城は忍城のみという板東武者の武略と気概を現した物語だ。

 「今年の№1」?と尊大で、「かわいい!」?と軟派で安っぽい帯。しかし知らぬ戦いと武将達の物語に好奇心は惹かれる。軽くつまみ読みをすると面白そう故に購入したが、展開がスピーディーで爽快感に包まれてあっという間に読破した。

 まだまだ知らないことばかりゆえに歴史浪漫は尽きない。忍城は埼玉に住んでいた時の場所から近かったようだが、当時は知らなかったことが悔やまれる・・・。

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2008年6月 5日 (木)

「天地人」配役決まる

 気になる来年のNHK大河ドラマ「天地人」の配役が決まった模様だ。

 俳優の妻夫木聡(27)が主演する「天地人」の新たな出演者発表が3日、東京・渋谷の同局で行われた。主人公・直江兼続の妻お船役が常盤貴子(36)、兼続に思いを寄せる真田幸村の妹・初音役を長澤まさみ(21)が演じる。戦国時代の名将をめぐる人気女優の“競演”が話題を呼びそうだ。

Photo  2人は同じワンピース姿ながら、明るい青やピンクの常盤と、濃紺の長澤という対照的な色合いで登場。役どころを反映するようなファッションで顔を合わせた。常盤は男勝りの性格で、年下の夫を支える“姉さん女房”役。「1年間という長さで作品にかかわったことがないので、不安と楽しみでいっぱい」とあいさつ。コンビを組む妻夫木も9歳下とあって「“妻夫木くん、頑張って”と思う気持ちで臨みたい」と大人の色気たっぷりに話した。
 一方、長澤は無邪気で可愛らしいが、残酷な一面もある“忍び”という影が伴う役どころ。火坂雅志氏の同名原作に登場する架空の人物で、兼続には興味本位で接したものの、その真っすぐさにひかれていく。 大河出演は「功名が辻」(06年)以来、2度目。この時も主人公の山内一豊を誘惑する忍び役で、故司馬遼太郎氏の同名原作に登場する架空の人物だった。会見では「同じ年ごろの若い人たちにも面白いと思ってもらえるよう頑張りたい」と抱負。この日が21歳の誕生日で「どのように過ごすのか」と問われ「民放でドラマをやっているのでその撮影です」と話していた。
 ほかに、兼続の主君にあたる上杉景勝役が北村一輝(38)、上杉謙信役に阿部寛(43)という豪華布陣だ。

 兼続を伊達政宗はライバル視し、上杉家での人質時代の真田幸村は師と仰ぎ、また前田慶次は「天下で頼るべきは上杉家のみ」として家来にしてくれと直談判しにくるなど、戦国の猛者達が次々と集まってくる。
 そんなイメージを安っぽくなく軽くなく、凛としたドラマに仕上げて欲しいものだ。

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2008年5月28日 (水)

『楽毅』

何年越しか?以前から半端読みにしていたのをようやく読み終わりました。

楽毅(がくき)は中国三国志で有名な諸葛孔明が憧れた春秋戦国時代を代表する名将軍である。時は紀元前3-4世紀の頃。弱小国である「中山国」の宰相の子として生まれた楽毅は、愚鈍な君主、他国との圧倒的な国力差の下で苦心と工夫を重ね、将として奮戦するも亡国の憂き目に遭う。ただその後失意の中で暮らしながら己の器量を磨き続け、やがて戦国の七雄(国力に優れた七つの国)の中のひとつ、国力的には弱小国である「燕」の将として大国「斉」の70余城を下し名将として歴史に名を残す。
読み始めれば瞬く間に進む痛快な展開に満足感が漂います。

この『楽毅』は全4巻ですが発売当初の初巻は海越出版社「上巻」でした。以下「中巻」或いは「下巻」と発売はなく、新潮社より「第1巻、第2巻」と発売されたのです。「第1巻」は私が持っている「上巻」と内容は全く同じです。ゆえにこの「上巻」はプレミア本として本好きな私の宝ものの中のひとつです。海越出版社は倒産したのかな?

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現在、古代中国の人物を書かせたら右に出る者はいないと思われる宮城谷昌光。単行本が本棚を埋め尽くすが、実は半分は時間が無くて未読の作品です。時代小説は色褪せないので、いつでも好きな時に読めるように買い揃えています。

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2008年5月13日 (火)

俺の寺 資福寺跡

《 「俺の・・・」パクリシリーズやっちゃうよ! 決して坊主になったのではない!》

 置賜盆地のほぼ中心部の高畠町夏苅地区には、戦国時代、伊達政宗の師である虎哉和尚が寓居した資福寺があった。資福寺は鎌倉時代にこの地を統治した長井時秀により弘安年間に創建されて、東北有数の寺院で関東十刹の一つに数えられ学問文化の中心地であった。後に長井氏を滅ぼした伊達氏も資福寺を手厚く保護した。
 やがて独眼龍政宗の勇躍と共に宮城県岩出山を経由して現在は仙台市青葉区北山へ移り、慶長5年(1600)虎哉和尚を中興開山として再興されている。あじさい寺として有名で市民の目を楽しませている。

 現在の夏苅地区には廃寺となり小さな祠があるばかり。非業の死を遂げた政宗の父伊達輝宗と殉死した宿老遠藤基信の墓がひっそり佇んでいる。暖かい陽が差し込み心地よい風が吹くほどに、時代の流れの寂しさを感じてしまった。

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伊達輝宗の墓               遠藤基信の墓
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 以前から政宗生誕の寺と思っていたのだが、どこにもそのような記述は見あたらない。確かに米沢城内には政宗生誕の碑があるのだが・・・。勘違い?まぁいいか。

                                (取材日 2008年4月30日)

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2008年4月28日 (月)

「天地人」記念ウォーク

1_2歴史とアウトドア心をくすぐるシビれる企画を見つけた。
直江兼続主人公の来年のNHK大河ドラマ『天地人』放映を記念して、福島県の北塩原村で実際に兼続や上杉景勝、(或いは伊達政宗も?)歩いた米沢と会津若松を結んだ旧街道一部のウォーキングが5月に計画されている。

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この米沢街道は会津五街道のひとつで、伊能忠敬吉田松陰も歩いた現在の国道にあたる。大塩小学校から桧原湖底に沈んだ桧原宿直前までの約10km、標高差約510mが今回のコースだが登山なみの行程である。しかし歴史上の人物が歩いた!という事実や史跡が多く残っていることにより歴史ロマンを十分満喫出来ることであろう。

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全く興味深い場所ゆえに是非とも参加してみたいが、あいにく田植え真っ盛りなので非常に残念だ。好評を博して秋に再企画とかにならないかな?

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2008年3月13日 (木)

俺の城! 長谷堂城

西置賜郡からR348号線にて山を越えて山形盆地へ出始めると程なく右手に小高い山が見えてくる。ここは今を遡ること約400年前に激戦の舞台となった長谷堂城跡である。

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この城は山形城の西南約7kmに位置し、比高約85mの独立丘陵に築かれた山城で古くから天然の要害の地であった。築城時期は定かではないが、残された文献によると1514年以前と考えられている。最上領西南の守りとして本沢川から導水して深堀を巡らし、土塁を築く等強固な城砦に整備されていた。

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慶長5年(1600)「東北の関ヶ原合戦」といわれた攻防戦があり、会津の上杉景勝の家老直江兼続が総大将として米沢より2万数千の上杉精鋭軍を率いて、山形の最上義光を攻めた折り、最上軍の志村光安がこの城に約5千の将兵と籠城して、半月間上杉軍の猛攻を凌ぎついに城を守りきった。このことから長谷堂城は「難攻不落」として戦史に名を残すことになる。その後、元和8年(1622)最上家改易と同時に廃城となった。
山形市の調査によれば、中世の城郭跡としてこれだけの虎口や曲輪の跡が残されているのは珍しく、学術的・文化価値の高い史跡であることが明らかにされている。私は城の見方の知識は乏しいが、歴史に名を残す史跡ゆえに以前からこの山城には興味があった。そこで今機会を得、400年前に思いを馳せながら探検です。

R348より(西側遠望)          八幡口付近の戦死者供養塔
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八幡口登り口               雪の尾根を突進
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山頂本丸跡にて             画面中央に山形城(霞城)跡を望む
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山頂より…左手前より雲霞のごとく上杉軍は押し寄せた
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空堀跡                   大手口の石段
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当時は土塁が築かれていた      搦手観音坂口(南側より)
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さて上杉が最上を攻めた背景や合戦の詳細な経過は次回に譲るとして、上杉軍が山形城を攻めるには背後に位置することになるこの長谷堂城を落とす必要があった。そこで猛攻を加えるがなかなか落とせないうちに、関ヶ原西軍敗北の報が両陣営に届き、上杉景勝からは撤退命令が出され、瞬く間に攻守の立場が入れ替わってさらに激戦が繰り広げられた。この時の上杉軍には前田慶次も参戦しており、この付近で奮戦していたことであろう。また、長谷堂城への最も激しい3回の攻防戦では上杉軍では剣豪上泉泰綱、大津美作守、岩井備中、松本杢之助などの猛将が、最上軍では鳥海勘兵衛、加藤掃部左エ門などがこの付近で戦死している。城に至近の田んぼの中の戦死地には戦死者埋葬の塚や碑が建っている。

                                                   主水塚(上泉泰綱戦死地・戦死者埋葬塚跡)
市内側より(東側遠望)                    背後は城北側・・・八幡口を望む          
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東側より遠望…右側(三角の富神山付近)より上杉軍は進軍し撤退した
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英雄と名の無き兵卒たちが死闘を繰り広げたこの城も、数百年の時の風に流されて今は静かに春の雪解けを待っている・・・。        (取材日 2008年3月10日)

・・・いや~ついにやっちゃいましたね!パクリ企画 bleah scissors。 本家本元はこちら
  所詮パクリゆえに質は雲泥の差だ smile

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2008年2月 6日 (水)

長野軍団参上!(2) 米沢歴史観光編

歴史好きな彼らのお楽しみは米沢観光だ。伊達政宗が生まれて、蒲生氏郷が治めて、上杉景勝、直江兼続主従が整備し、上杉鷹山が引き継いだ歴史ファン垂涎の全国区の街。また豪傑前田慶次の朱色の鎧兜が観られるのもここだけだ。食べ物も今は全国区ブランドとなった米沢牛、米沢ラーメンと話題には事を欠かない。
さっそく直江兼続夫妻を始め上杉一族が眠る春日山林泉寺へ行く。杉と雪景色の荘厳感と静寂感に小雪が散らつく。歴史の重みをいっそう醸し出す雰囲気が堪らない。

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次に宮坂考古館で朱色の前田慶次、上杉謙信、景勝、直江兼続たちの鎧兜を見物する。感動するのだが館内が寒くて特に第2展示館では涙目になったりする。昼食の後は上杉城史苑へ移動して最初は上杉博物館で米沢の歴史などを軽く勉強する。

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次はいよいよ上杉神社です。前回訪問時は逃した宝物館の稽照殿で兼続の「愛」の前立てや謙信の白頭巾、馬上杯などの至宝群に息を呑みます。しかしこの館内も土蔵造りゆえか寒すぎて参りました。その後は城史苑へ戻り飲食や土産物買いなのですが、「俺の城」ブロガーはこの機会を逃すわけも無く米沢城を一周するとのことで私も付き合いました。寒さで指の感覚が無くなりカメラのシャッターを上手く押せない!

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最後はお土産に米沢牛を購入するべく黄木屋へ行った後に帰宅路につきました。飯豊町の添川温泉しらさぎ荘で温泉に入り18時前に地元に到着しました。実は私も地元のくせに米織りのブックカバーを購入しました。頂いたお土産群と記念撮影です。

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私は再訪問しても歴史好きな彼らと廻ると改めて新鮮な目で鑑賞できました。米沢牛の昼食も含めて大満腹の充実した一日となり楽しかったです。

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2007年12月22日 (土)

直江兼続の酒発売!

米沢市の酒蔵小嶋総本店から以下の清酒を発売するとの情報を得ました。
 東光純米 『直江兼続公の前立「愛」』
このブログを見てくださっている諸兄は既にご存知の、上杉家を支えた名将で現在は米沢の恩人として親しまれている直江兼続が、2009年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公として登場することを祝っての発売です。

さっそく米沢市に用事で出かけた際に買ってきました。黒と赤の化粧箱が質実剛健さを醸し出してキリリと引き締まってカッコいいです。しかし「所詮「東光」か・・・。」などと考えず気分で美味しく頂いたあとは瓶に水を入れて飾っておくとしよう。

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2007年12月19日 (水)

忠臣蔵

12月を過ごすパターンとして、歴史に残る14日近辺になると必ず忠臣蔵を観ます。無念の主君の仇を見事に討ち、後世に名を残した家臣たちの美談時代劇にですが、過去に忠臣蔵の映画やドラマは数多くあるけれど、私がいつも観ているこの1985年製作の年末4時間ドラマ自体が面白いのかもしれない。

里見浩太郎主演+豪華キャストで、年末の話題となっていた年末時代劇シリーズ。大石内蔵助を里見浩太郎、吉良上野介の森繁久弥、浅野内匠守に風間杜夫、その他にも西郷輝彦、中野良子、あおい輝彦、西田敏行など豪華な配役。
浪曲などでも取り上げられる「神崎与五郎 東下り」「赤垣(赤羽)源蔵 徳利の別れ」「堀部安兵衛 高田馬場の仇討」など討入り義士の銘々伝だけでなく、「天野屋利兵衛」や、高田郡兵衛、田中貞九郎、毛利小平太など脱盟藩士の銘々伝も丁寧に描きこんでいる。また、吉良上野介も最後の仇討ちの際は高家筆頭として、能を舞いながら大石内蔵助に潔く討たれているのが新鮮。(今までの作品では大抵、吉良は往生際が悪く討たれていた) 本作は忠臣蔵大辞典みたいなボリュームのある作品なので最高だ。

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このお宝ビデオテープが劣化してきたのでDVD化しました。来年も再来年も観るぞ!

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2007年12月 7日 (金)

真田幸村(2)

076真田幸村は大坂夏の陣で戦死したのだが後世に男の血筋が残っている。次男大八が実はこっそりと伊達政宗の重臣片倉家へ送り届けられていたのだ。大坂夏の陣で幸村は伊達勢と激突し打ち破ったが、その時の片倉重綱の戦振りが見事だったので気に入り、敵ながらこの家ならば、と次男を託したらしい。その片倉家も当世の英雄の忘れ形見を託されることを誇りに感じたことだろう。

真田家は徳川家にとっては何度も煮え湯を飲まされた憎き敵ゆえに、特に西軍方の幸村の男子の血の存在は伊達・片倉家中でも秘中の秘として扱われ、様々な工作を施してついに明治維新を迎えたのである。幸村の期待に見事に応えた片倉家はさすがに伊達政宗を支えた名参謀の家である。片倉家の城下町宮城県白石市の当信寺に実の姉と一緒にお墓があります。

075またNHKで興味深い番組が放映されたことがある。江戸時代初期に島原の乱があり徳川は全力を駆使して反乱民を根絶やしにした事件があった。その理由は首謀者の天草四郎時貞が実は豊臣秀頼の子だったからとのこと。江戸時代の薩摩の国に「秀頼さんを鬼の真田が連れて来て・・・」というような童唄が流行ったそうな。大坂夏の陣で落城の際真田の誰かが秀頼を連れて薩摩まで落ち延びたらしい。幸村が戦死したのはまず間違いないので、たぶん長男の大助だと思われる。天草四郎時貞の出生も謎が多いし、歳頃から考えても十分ありうる話のようである。何よりも執拗に根絶やしにした徳川の姿勢、何をそんなに恐れたのか?という点から信憑性を帯びてきてしまう。あくまでこちらは想像の世界ですが、歴史のifの世界の醍醐味にしびれてしまいます。

何はともあれ幸村死後もこのように息子たちの話題が後世に伝わるところが、当時の真田家の活躍、存在感を併せて処世術の一部を垣間見るようである。

まさに歴史浪漫に想像を膨らませる話であり、特に白石市はここから東進して2時間ほどで行ける地なので、過去何回か訪問したことはあるが今回の視点を意識してはいなかった。改めてゆっくり真田、片倉、伊達に思いを馳せた訪問をする日もそう遠くないことだろう。

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2007年12月 6日 (木)

真田幸村(1)

「徳川家康の馬印と旗印を踏み躙った武将はただ二人。ひとりは武田信玄。
 もうひとりは
真田左衛門佐(さえもんのすけ)幸村。」

その名を後世に残した大坂の陣にて、冬の陣は真田丸にて鉄砲隊を率いて大坂方唯一の勝利を得、夏の陣は騎馬隊を率いて電撃的突撃により家康本陣まで突入し後一歩のところまで追い詰めた。その様子を島津氏は賞賛し「真田日本一の兵(つわもの)」という有名な評を残す。

好きな戦国武将ランキングでたいてい1位になっている理由は、日本人好みの敗者の美学と相まってこの辺にあるのだろう。

しかしその輝かしい賛辞はこの時ばかりで、彼自身の目立った戦自体も父昌幸に従って徳川勢と戦った2回の上田城攻防戦くらいしかない。
16風貌も若々しい二枚目イメージで我々に伝わっているが、当の大坂の陣(49歳)の時には、抜け落ちる歯、白くなる鬚に我が身の衰えを嘆く初老の風貌であったとのこと。それは34歳から48歳までの働き盛りを失意のなか紀州九度山の配流生活で過ごさざるを得なかったためであろう。また幸村という名前も史実には登場せず「信繁」というのが一般的だ。「幸村」は後世の創作と伝わる。だから現実と伝説の差が激しい不思議な武将のひとりと云える。

しかし配流生活から突如歴史の舞台に再登場した真田幸村。閑居に持て余していた才気は、長すぎる雌伏の時を経て一気に爆発する。その鬼神の如き戦ぶりは戦争芸術家と評され、参戦諸将の脳裏に強烈に焼き付けられたのである。その一瞬の閃光が伝説と化し後世に語り継がれることになるのである。勝てる望みの少ない徳川という巨大な敵に立ち向かい、いま一歩と云うところまで家康を追いつめた爽快さが我々を惹きつけて止まない。

祖父幸隆、父昌幸、兄信幸(信之とも)はさんざん苦労して名将の名を得たが、幸村は一瞬強烈に大暴れして全国№1。最高だ。
とにかく昔から大好きで書棚から溢れるほど書籍は集めまくりました。

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2007年9月27日 (木)

センゴク

最近のお気に入りはヤングマガジンで連載中の『センゴク』です。仙石秀久を主人公に戦国時代を描いています。作者自身の現地調査を踏まえて、独自の現実的で詳細な描写によりリアリティが伝わってくる大人の鑑賞に堪え得る作品です。
問題の「戸次川の戦い」が楽しみです。

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ただし難点は絵かな・・・。

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2007年9月15日 (土)

『戦国合戦超ビジュアル地図』

17ちょっと表紙は小中学生対象のデザインでレジで買うのは恥ずかしいが、このようなMOOKは大好きです。カシミール3Dで作成された3D地図上で合戦のようすが描かれているので、臨場感が抜群でイメージを把握しやすいです。ゆえにすぐさま訪問したくなるし、その際は大いに役に立つことでしょう。
もちろん建物や道路などは当時と様相が変わっていますが、基本的な山や台地などの地形は変わっていないので、現地で悠久の浪漫にどっぷりと浸れることでしょう。古戦場めぐりの旅を企画しなくては!

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2007年8月21日 (火)

裏磐梯ヒルクライム大会

昨年第1回が開催されて今年も時期が迫ってきました。
白布峠頂上からの磐梯山と桧原湖の眺望は素晴らしいですが、
私は上り坂が嫌いなので全く興味がありません・・・。

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関が原の戦い以前の上杉家の本拠地は会津若松で、直江兼続の領地は米沢であった。1888年(明治21年)の磐梯山噴火時に発生した岩屑流により、集落は崩壊、川もせき止められ桧原湖や五色沼などが形成された。現在の裏磐梯の景観は、この時に形成された。1600年前後に生きていた直江兼続は、今は桧原湖の湖底に沈んだ街道を往来していただろうし、どのような形の磐梯山や景観が目に映っていたのだろう?
ちなみに山形県側の白布温泉では直江兼続が上杉家の隠れ鉄砲工場として密造させていたのだ。記念碑が残っているよ。

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2007年7月17日 (火)

始皇帝と彩色兵馬俑展

閉展直前の「世界八番目の奇跡-驚異の地下帝国」 新潟市の朱鷺メッセへ7/15(日)に見学に行って来ました。

15_11兵馬俑(へいばよう)とは中国西安市の郊外にて1974年、村民が秦始皇の陵墓から1.5㎞の地点で井戸を掘っていたときに、地中の中から実物大で発見された陶俑(陶による人形)のことです。調査の結果、その数は8000体以上にも及び、膨大な数と圧倒的なスケールに世界に驚嘆をもたらしました。中国では世界の七不思議に並ぶ、世界8番目の大奇跡と評されています。
今回の出品作品の多くは日本初公開ですが、特に1999年に兵馬俑坑2号坑から発見された、全身に紀元前3世紀当時の彩色が残る兵馬俑、跪射俑は、中国でもわずかしか存在しない、世界的にも貴重な遺物です。それまでに発見された兵馬俑からは、2000年を越える長い年月のため色彩が失われていました。本展では、中国国内でも常設展示されていない彩色兵馬俑を、世界で初めて観ることができます。会場では世界初の試みとして、彩色兵馬俑をコンピューター・グラフィックで再現し、現地の迫力をそのままを感じることができる、バーチャルリアリティシアターを使用して、地下宮殿内の当時の鮮やかな彩色兵馬俑軍団の姿を再現します。現地では不可能な距離や角度から眺めることで、壮大なる中国の歴史の一端に触れる素晴らしい機会です。

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18_15兵馬俑の兵士の顔はモンゴル系、南方系、西域系など一体一体異なり実にリアルです。会場では2周し、シアターも2回、中国の歴史の偉大さと悠久の浪漫にどっぷり浸れた2時間でした♪
記念のお土産は写真集が高く諦めて「限定品」マグネットです。

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2007年6月22日 (金)

織田信長の顔

歴史好きの素朴な疑問。歴史上の偉人の顔って本当はどうだ
ったのか?例えば戦国武将で人気の高い真田幸村はいつも
若々しい二枚目として描かれることが多いけど、名を後世に
残した大坂夏の陣で徳川家康本陣への電撃突撃を敢行した
49歳の最期の時は、髪も歯も抜けた冴えない初老の風貌だっ
たらしい。他の武将も実際はどうだったのだろう?当時の日本
画技術の平面的肖像画では、貧しい想像も叶わない。
その点、かの天才織田信長はやはり先進性に富んでいて、
自分の肖像画を南蛮宣教師に描かせて後世に残している
西洋画法ゆえにリアリティがある。

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信長の子孫はこの山形県の天童市に住んでいたので、菩提
寺の三宝寺にあるそうだが、いつも忘れてしまっている・・・。
また、京都の大徳寺には木像も遺されている。一周忌に香木
で作った信長の木像を二体作りそのうち一体を火葬して豊臣
秀吉が供養。もう一体の木像は安置されて現在に伝わる。
私は実物を見て来ましたよ!やはり怖い顔をしていました。

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2007年6月15日 (金)

黄金伝説 鳴海金山

まさに秘境浪漫!新潟県は佐渡の金山以上に金が採掘されて
いた金山がある。新潟県北部の朝日村から山形県鶴岡市に抜
ける朝日スーパー林道の山奥の県境近くにある鳴海金山である。
天正・慶長年間(1573-1615)には全国一の産出量を誇った。

10年以上も前に浪漫を求めて友人3人でダート道を進み訪れた
ことがある。本当に何もない山中によくぞ発見したものだ!と感
嘆してしまう秘境の地である。静寂な自然の中では時間は止まり、
当時のままのような錯覚に陥る。林道からの徒歩道も色気が無
く寂しい限りだが、中に入るとけっこうな施設として立派でびっくり
した記憶がある。たぶん、周囲の沢などでは今でも砂金が採れる
のではないかな?(ちなみに砂金採取体験施設があります。)

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大同2年(807)の発見から、戦国時代の世を経て江戸末期まで
採掘が行われていた。天才武将上杉謙信の軍事行動を支え、
のちに豊臣秀吉の天下に上納されたということである。
まさに黄金の島ジパングの生き残り証人が、わが町と隣接した
地域に存在するのである。いつか再び訪問してみたいと思って
いる。悠久の浪漫が私を呼んでいる。

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2007年6月 8日 (金)

信長の野望

自分でも客観的に、「毎回同じことやってて飽きないものだ」、
と呆れつつ感心してしまう唯一続けているゲーム、その名は
コーエーの「信長の野望」シリーズ。やはりパソコン版です。

私が始めたのはWindows95に正式対応した『将星録』から。
インターフェースがナンちゃって3Dの全国一枚マップになり、
飛躍的に視覚、感覚的に楽しめるようになった。弱小大名で
は天下統一に50年くらいかかり、次々とお気に入り武将が死
んでいったっけなぁ・・・。最初は要領が解らず、プレイする信
長が今川の猛攻をまともに受けて首を刎ねられた! また、
信長の堅城安土城が武田の猛攻で落ちたりもした・・・。

烈風伝』・・・歴代で一番プレイしたお気に入り。BGMも良い。
嵐世記』・・・3Dが重くて雰囲気に欠けた。
蒼天録』・・・面白くなく、唯一天下統一せずやめた。
天下創世』・・・本格3Dで部隊が画面を走り回り臨場感抜群。
革新』・・・超級モードでは絶対コンピューターに勝てない!

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新シリーズ発売ごとに新たな要素が加わるが、キャラクターも
個性を増し、主義主張を持ち、どんどん泥臭い人間味を帯び
てゆく。「あ!裏切った!根性ねぇなぁ~!使えねぇ~!」等々。
つい私も深夜にひとりブツブツぼやいてしまう・・・。
そろそろ最新版の発売時期と思われるが音沙汰なし?
三国志に注力して開発は中止したのかなぁ?寂しいなぁ・・・。

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2007年6月 5日 (火)

その時歴史が動いた

歴史好きなのですが、NHKの放映は観れないことがほと
んどです。そこでコミックスをほぼ全巻購入して読んでいま
す。しかし、最近は「動いた!」も以前より小さくなっている
ような気がしているのは私だけでしょうか?(ネタ切れ?)

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2007年5月22日 (火)

山本五十六の格言

リーダーシップに乏しい軟弱男の私が心している言葉です。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
            ほめてやらねば、人は動かじ。」

「苦しいこともあるだろう。 云い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
    これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。」

Photo_96 これらは旧日本海軍連合艦隊
指令長官の山本五十六の言葉
です。米百俵で有名な新潟県長
岡市で、旧越後長岡藩士・高野
貞吉の六男として生まれ、家名
継承で山本となる。(ちなみに山
本家は、かの山本勘助の弟の
末裔らしく、戊辰戦争で主家を
守るべく犠牲となり御家断絶と
なっていた。)旧制新潟県立長
岡中学校(現長岡高校)卒。19
43年(昭和18年)4月18日、前線視察のため訪れていたソロ
モン諸島上空で、暗号を解読していたアメリカ航空隊戦闘機
に待ち伏せされ、撃墜され戦死した。

教育者としての側面もあり、明るく冗談好きで、部下・同僚か
らの信頼が非常に高かった。当時の欧米事情に詳しく、日独
伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していたが、い
ざ、日米開戦が開始されると「短期決戦・早期和平」という日
米間に於ける国力の差を冷静に分析した現実的な作戦計画
を実施しようとした。等、旧日本海軍軍人の中でも傑出した
名将としての評価は今日でも高く、敵であったアメリカ側から
山本五十六を賞賛する意見が多い。

これらを胸に刻み、今日も「」になる修行は続く・・・。

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2007年5月11日 (金)

祝!直江兼続の大河ドラマ化

NHKは4月26日、2009年放送の大河ドラマが、戦国武将
上杉景勝の家臣、直江兼続(1560-1619年)が主人公の
「天地人」に決まったと発表した。 原作は火坂雅志の同名
の小説
で、脚本は現在放送中の連続テレビ小説「どんど晴
れ」の脚本を手掛ける小松江里子。

兼続は5歳年上の景勝の小姓となり、上杉家の家臣として
景勝を支え続けた。後に豊臣秀吉からの家臣への誘いを
断り、徳川家康からは最も恐れられた存在だったという。
ドラマは戦国の世にあって「愛」という字を掲げた兜を身に
着け、謙信の教えである「義」を貫いた兼続の生涯を描く。

Photo_94   1_16

私は兼続よりも上杉鷹山<