カテゴリー「旅行・地域」の66件の記事

2008年6月23日 (月)

あやめ公園にて

この週末の早朝に1号を長井市の高校まで3、4号と送ってきました。早朝なのでおにぎりを持参して同市のあやめ公園で朝食としました。ついでに早朝は無料開放なので(日中入場料700円)公園内も散策しました。

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見所は下り坂でしたが、隣をフラワー長井線が通ったりして楽しくお得な時間を過ごせました。貴重な品種があることも初めて知りました。

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2008年5月28日 (水)

『楽毅』

何年越しか?以前から半端読みにしていたのをようやく読み終わりました。

楽毅(がくき)は中国三国志で有名な諸葛孔明が憧れた春秋戦国時代を代表する名将軍である。時は紀元前3-4世紀の頃。弱小国である「中山国」の宰相の子として生まれた楽毅は、愚鈍な君主、他国との圧倒的な国力差の下で苦心と工夫を重ね、将として奮戦するも亡国の憂き目に遭う。ただその後失意の中で暮らしながら己の器量を磨き続け、やがて戦国の七雄(国力に優れた七つの国)の中のひとつ、国力的には弱小国である「燕」の将として大国「斉」の70余城を下し名将として歴史に名を残す。
読み始めれば瞬く間に進む痛快な展開に満足感が漂います。

この『楽毅』は全4巻ですが発売当初の初巻は海越出版社「上巻」でした。以下「中巻」或いは「下巻」と発売はなく、新潮社より「第1巻、第2巻」と発売されたのです。「第1巻」は私が持っている「上巻」と内容は全く同じです。ゆえにこの「上巻」はプレミア本として本好きな私の宝ものの中のひとつです。海越出版社は倒産したのかな?

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現在、古代中国の人物を書かせたら右に出る者はいないと思われる宮城谷昌光。単行本が本棚を埋め尽くすが、実は半分は時間が無くて未読の作品です。時代小説は色褪せないので、いつでも好きな時に読めるように買い揃えています。

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2008年5月 6日 (火)

春の樽口峠

 このGW、農作業ばかりでは面白くないので、早朝に我が町南部の樽口峠へ行って来ました。ここは飯豊連峰が眼前に望める知る人ぞ知る景勝地です。ゆえに頂上駐車場には他県ナンバーが数台車中泊していたし、すでに写真撮影活動している人々の姿も見られました。樽口峠の朝は早い!

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 ここで撮れる有名な桜の時期は終わっていましたが、野焼きはこれからかな? 雲が晴れれば飯豊連峰稜線へ登る石転沢の雪渓も見えるのですが今回は残念。
 しかし今回は、今まで何度も通いながら気付かなかった、集落からの上り道脇に初めて水芭蕉を発見しました。また、何気なく遠くのある斜面の緑を見ていたら、その左下に動くものが(写真黄色○部)・・・あの急斜面を人がモゾモゾと登っていました。山菜採り!? う~む、人はどこへでも行くものだなぁ・・・。スゴイ。

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 耳を澄ませば沢のせせらぎと小鳥たちのさえずりが早朝の爽快感を伝えてくれます。時を忘れるかのようなマイナスイオンに包まれて心のセラピーかな・・・。
 しかし近いようで遠い・・・次回は好天時に狙って出動しよう。

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2008年4月28日 (月)

「天地人」記念ウォーク

1_2歴史とアウトドア心をくすぐるシビれる企画を見つけた。
直江兼続主人公の来年のNHK大河ドラマ『天地人』放映を記念して、福島県の北塩原村で実際に兼続や上杉景勝、(或いは伊達政宗も?)歩いた米沢と会津若松を結んだ旧街道一部のウォーキングが5月に計画されている。

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この米沢街道は会津五街道のひとつで、伊能忠敬吉田松陰も歩いた現在の国道にあたる。大塩小学校から桧原湖底に沈んだ桧原宿直前までの約10km、標高差約510mが今回のコースだが登山なみの行程である。しかし歴史上の人物が歩いた!という事実や史跡が多く残っていることにより歴史ロマンを十分満喫出来ることであろう。

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全く興味深い場所ゆえに是非とも参加してみたいが、あいにく田植え真っ盛りなので非常に残念だ。好評を博して秋に再企画とかにならないかな?

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2008年4月26日 (土)

夜桜見物 釜の越桜

 水曜日の夜に1号の部活動夜間練習の迎えに白鷹町のサッカー場まで行った。
 そのサッカー場へ向かう際にいつも通る同町高玉地区には、樹齢800年といわれるエドヒガンザクラで「釜の越桜」という巨木がある。釜の越は地名であり、樹下にある3個の巨石は八幡太郎義家が居陣したときに、この石でかまどを築き兵糧を炊いたとの伝説がある。地名の「釜」は、この伝説に係わりがあるらしい。
 この桜の保存活動は盛んな様子だし、開花時にはライトアップされてお祭りも開催されるとのことで、以前から気になっていたので今機会を逃さず訪問してみたのだが・・・。
 20時15分ころ到着すると程なく「いましばらくすると照明は消灯します」とのアナウンスが流れた。なんと!到着したばかりなのに!と半分憤り半分焦ってカメラの設定をし周囲を移動すると、今度は「蛍の光」が流れてきた!いよいよ焦りシャッターはただ押すのみに終始し、ちょうど一周したところの20時35分過ぎで消灯となった。
 ・・・おかげで写真は酷い出来映え・・・。どうしてくれる!

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失意感を押さえて約10分離れたサッカー場へ移動すると、子供たちの威勢の良い声が夜桜に紛れて響き渡っている。癒されるな・・・ガンバレ青春小僧たち!

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練習終了を待つこと約30分・・・あれれ?1号はビッコを引いているし・・・!!!

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2008年4月25日 (金)

温泉大好き 姥湯温泉

秘湯を求めて山奥へ。米沢の吾妻山中には秘湯といわれる温泉が多い。その中で最も話題性が高いと思われる姥湯温泉へ7年前に行ったことがあります。狭い山中のくねくねと曲がった道を延々と車で走り、最後は徒歩でとぼとぼと・・・。

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やがて旅館へたどり着くと、写真やTVで見た白濁した露天風呂が! しかし次々と客が来るし、若者アベックで水着の女の子なども現れた日には・・・「どこが秘湯だ!」と叫びたくなる。土日で日によっては入れないくらい混雑している時もある。

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そんな時はアクセス道路に隣接する峠駅前の有名な「峠の力餅」でも食べて帰りましょう。或いは峠駅で山形新幹線を撮影するとか。旅の要素が凝縮されている!

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2008年3月28日 (金)

時刻表の旅

18_2 この4月から1号は汽車通学するので久しぶりに時刻表を買った。ところがページをめくるとムクムクと汽車旅心が首を持ち上げる。
いつか日帰りで飯豊山を一周してSLにも乗ってみる汽車旅がしたいと考えていた。SLばんえつ物語号は土休日に1往復のみの運行なので、ここの制約時間を中心に計画を考えてみる。また米沢・福島間も在来線は本数が少なくネック区間となるが山形新幹線の利用で融通が利く。まずは反時計周りルートを調べてみた。
  START!   6:29          ――        坂町       7:05
  坂町      7:39          ――        新潟       8:38
  新潟       9:43 快速 SLばんえつ物語号 会津若松 13:31
  会津若松  14:13         ――         郡山     15:15
  郡山      15:31   山形新幹線つばさ    米沢     
16:20
  米沢      
18:25         ――         GOAL!  19:53
でた!恐怖の米沢で2時間待ち!地元でどうすんの!? 実は米沢到着後に連絡の良い米坂線があるのだが、隣町で終点となり要領を得ない・・・。これはイマイチの計画だ。
 〈米沢 16:56 ― 羽前椿 17:38〉

次に時計回りルートを調べてみる。
  START!  10:14         ――         米沢     11:35
  米沢     11:40   山形新幹線つばさ    郡山     12:33
  郡山      12:50        ――          会津若松
14:02
  会津若松 
15:25 快速 SLばんえつ物語号 新津    18:35
  新津      18:52         ――          新発田   19:27
  新発田    19:31         ――         坂町     19:54
  坂町      20:00          ――         GOAL!   20:45

SL磐越物語の終点は新潟で19:00に到着する。しかし、米坂線の最終電車へ乗るには、新潟発18:55に乗らねばならず、わずか5分違いのために断念。そこで手前の新津で降りて近道で新発田へ行くのだ。すると新潟18:55発の電車に乗ることが出来る。この路線に乗るのは初めてなので、それはそれで楽しみゆえに好いかも。

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以上より時計回りルートがスマートで楽しめるだろう。会津若松でSLへ乗るまでの1時間半という待ち時間もポイントが高い。ワクワクとSL撮影しなくては!

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このように計画を立てるだけで楽しい気分に浸れます。チビ達と行こうかな?

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2008年3月13日 (木)

俺の城! 長谷堂城

西置賜郡からR348号線にて山を越えて山形盆地へ出始めると程なく右手に小高い山が見えてくる。ここは今を遡ること約400年前に激戦の舞台となった長谷堂城跡である。

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この城は山形城の西南約7kmに位置し、比高約85mの独立丘陵に築かれた山城で古くから天然の要害の地であった。築城時期は定かではないが、残された文献によると1514年以前と考えられている。最上領西南の守りとして本沢川から導水して深堀を巡らし、土塁を築く等強固な城砦に整備されていた。

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慶長5年(1600)「東北の関ヶ原合戦」といわれた攻防戦があり、会津の上杉景勝の家老直江兼続が総大将として米沢より2万数千の上杉精鋭軍を率いて、山形の最上義光を攻めた折り、最上軍の志村光安がこの城に約5千の将兵と籠城して、半月間上杉軍の猛攻を凌ぎついに城を守りきった。このことから長谷堂城は「難攻不落」として戦史に名を残すことになる。その後、元和8年(1622)最上家改易と同時に廃城となった。
山形市の調査によれば、中世の城郭跡としてこれだけの虎口や曲輪の跡が残されているのは珍しく、学術的・文化価値の高い史跡であることが明らかにされている。私は城の見方の知識は乏しいが、歴史に名を残す史跡ゆえに以前からこの山城には興味があった。そこで今機会を得、400年前に思いを馳せながら探検です。

R348より(西側遠望)          八幡口付近の戦死者供養塔
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八幡口登り口               雪の尾根を突進
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山頂本丸跡にて             画面中央に山形城(霞城)跡を望む
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山頂より…左手前より雲霞のごとく上杉軍は押し寄せた
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空堀跡                   大手口の石段
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当時は土塁が築かれていた      搦手観音坂口(南側より)
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さて上杉が最上を攻めた背景や合戦の詳細な経過は次回に譲るとして、上杉軍が山形城を攻めるには背後に位置することになるこの長谷堂城を落とす必要があった。そこで猛攻を加えるがなかなか落とせないうちに、関ヶ原西軍敗北の報が両陣営に届き、上杉景勝からは撤退命令が出され、瞬く間に攻守の立場が入れ替わってさらに激戦が繰り広げられた。この時の上杉軍には前田慶次も参戦しており、この付近で奮戦していたことであろう。また、長谷堂城への最も激しい3回の攻防戦では上杉軍では剣豪上泉泰綱、大津美作守、岩井備中、松本杢之助などの猛将が、最上軍では鳥海勘兵衛、加藤掃部左エ門などがこの付近で戦死している。城に至近の田んぼの中の戦死地には戦死者埋葬の塚や碑が建っている。

                                                   主水塚(上泉泰綱戦死地・戦死者埋葬塚跡)
市内側より(東側遠望)                    背後は城北側・・・八幡口を望む          
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東側より遠望…右側(三角の富神山付近)より上杉軍は進軍し撤退した
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英雄と名の無き兵卒たちが死闘を繰り広げたこの城も、数百年の時の風に流されて今は静かに春の雪解けを待っている・・・。        (取材日 2008年3月10日)

・・・いや~ついにやっちゃいましたね!パクリ企画 bleah scissors。 本家本元はこちら
  所詮パクリゆえに質は雲泥の差だ smile

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2008年3月 6日 (木)

建造物と土木遺産

幼少のころより橋・ダム・トンネルなどの土木建造物が好きでした。また最近は歴史的価値、当時の技術力の高さ、景観美なども合わせて土木遺産として保存、保護する活動も盛んなようです。これらを見てみたいのも旅行好きの理由のひとつです。

02最近みつけた『世界に誇る日本の建造物~現代日本を創ったビッグプロジェクト』という本にシビれています。本書では、現在の地図に残る建造物500点を選り、美しい写真と構造を詳しく再現したグラフィックにより、当時の社会情勢・厳しい自然と闘う様子をわかりやすく解説し、現代日本を創ったビッグプロジェクトを深く掘り下げて紹介しています。京都への「琵琶湖疏水」、世界遺産に選定された「石見銀山」、「黒部ダム」「八甲田トンネル」など難工事を経た数多くの近代遺産までが一同に掲載されています。また、地図で有名な出版社だけに、説明文中の住所情報だけでなく、巻末には地図に物件がプロットされており旅行などに活用しやすく便利にできています。

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先人の努力と工夫、精神力と技術力、そこにドラマがある限りロマンを求めて旅に出掛けたくなります。これが世界に目を向けるとエジプトの「ピラミッド」、中国の「万里の長城」などは生きているうちにこの目で見てみたい巨大な土木建造物です。
  「人間は何でこんなモノを造ってしまったんだぁ!」
と心ワクワク大騒ぎする自分が容易に想像できます。

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2008年2月19日 (火)

『日本全国「県境」の謎』で謎が解けた!

16県境とは行政上の境界線にすぎないが、実は完全に県境、市町村境が確定している県は全国でたった9県しかない。その境界を決めるにあたっては全国各地で悲喜こもごものドラマがある。歴史上のいきさつ、文化風習の違い、利害関係などが複雑に入り乱れていて、現在でも容易に確定できないらしい。ゆえに今日我々が目にする地図上の線は実は何となく曖昧なものが大半である。例えば富士山頂上近辺や十和田湖など、場所によっては線が無いのはそういうことである。まぁ世の中は国境問題もあるのだから県境も当然と云えば当然なのだろう。

さてそこで以前から県境に関して非常に不思議と思っている身近な場所がある。我が家のトイレに山形県地図を貼ってあるが、実はその左下に問題の個所はある。いつも不思議にジーッと見つめているのだ…。

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細いへんてこりんな福島県が約7.5km延々と続く、日本一摩訶不思議らしい山形、福島、新潟3県の県境である。それがこの本で解説されていたのだ。 以下本文抜粋。

 これは明治時代に福島県の県庁が北東端に偏りすぎているということで、県庁移転問題が起こったことが原因である。そこで広大な福島県の北西部(東蒲原郡)を新潟県に移管することで問題の解決は図られたが、飯豊山の帰属をめぐる県境紛争が新たに勃発してしまった。これまで山形と福島の県境付近にそびえていた飯豊山が新潟県側にも組み込まれてしまったことで話がややこしくなってきた。飯豊山は五穀豊穣を祈る信仰登山が盛んな特別な山であり周辺住民の思い入れは特別である。
 福島県側の言い分は、飯豊山神社は一ノ木村(現・山都町)に鎮座しており、飯豊山頂にある飯豊山神社の奥の院も一ノ木村の土地であるというものだった。これに対し新潟県の寒川村(現・阿賀町)は、1888(明治21)年7月に新潟県知事に対し、飯豊山は古来越後の山であり、飯豊山神社は寒川村の土地に鎮座している、税金も寒川村で納めていると反論した。ゆえに両村の対立は県境紛争へ発展して行き、これを打開するべく両県は国の裁定を仰ぐことで合意した。
 それから20数年間は大きな進展が見られなかったが、このままでは地域経済の発展を阻害しかねないと、1907(明治40)年8月に県の技師や査定官、両村長らが実際に現地調査を綿密に実施。その結果、一ノ木村側の主張が全面的に認められることになり、飯豊山神社およびその境内、登山道は一ノ木村、福島県に帰属するという裁定がなされた。
 そのために山形、福島、新潟3県が接する付近に、実際は約1m弱幅のまるで蛇が這いずっているかのような奇妙な県境が引かれることになったのである。

ということで、実はわずか1m弱幅の登山道を軽くジャンプするだけで山形県から福島県を通り越して新潟県に着地できるというわけだ。今度ぜひ実行してみよう。
このように全国の不思議と思われる県境は何かしらエピソードがあり興味深いものだった。この本は地理だけでなく歴史と政治の本とも云えて話のネタが満載です。

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2008年2月13日 (水)

御神渡り

26_2地理が好きゆえに最近数冊買ったうちのこの本に、氷景色として諏訪湖では世界的にも珍しい「御神渡り(おみわたり)」という現象が起こるとの記事を見つけた。御神渡りとは全面氷結した表面に割れて盛り上がった氷が山脈状に長々と連なる現象のこと。諏訪湖の御神渡りには、湖の南側にある諏訪神社上社の男神が北側にある下社の女神のもとへ通った道筋だという伝説があり長く信仰されてきたらしい。

御神渡りができるのは、諏訪湖を取り巻く環境や条件に秘密があり整っているからである。詳細は割愛するが、氷の膨張収縮が繰り返されることによって起こる現象である。ここ以外では北海道の屈斜路湖などで見られるが、近年は暖冬の影響で発生しない年が増えているとのこと。

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実はこの御神渡りは先日の長野軍団との宴会席で初めて聞いた話だ。あれこれ説明を受けて、「今年はいまいちだなぁ~」などと語っていた。それが1週間も満たない時期にまた触れられるとは! 彼らと触れ合った愉しい時間がまだ続いている。

本日彼らの地元のこの記事をアップすると、センパイは偶然米沢城についてアップしていた。最後に私の雄姿まで入れてくれてありがたい。しかし第三者には、あのように間抜けに見えるんだなぁ…。構図考えて、よく、くねくねした姿勢で激写しているからね。

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2008年2月 6日 (水)

長野軍団参上!(2) 米沢歴史観光編

歴史好きな彼らのお楽しみは米沢観光だ。伊達政宗が生まれて、蒲生氏郷が治めて、上杉景勝、直江兼続主従が整備し、上杉鷹山が引き継いだ歴史ファン垂涎の全国区の街。また豪傑前田慶次の朱色の鎧兜が観られるのもここだけだ。食べ物も今は全国区ブランドとなった米沢牛、米沢ラーメンと話題には事を欠かない。
さっそく直江兼続夫妻を始め上杉一族が眠る春日山林泉寺へ行く。杉と雪景色の荘厳感と静寂感に小雪が散らつく。歴史の重みをいっそう醸し出す雰囲気が堪らない。

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次に宮坂考古館で朱色の前田慶次、上杉謙信、景勝、直江兼続たちの鎧兜を見物する。感動するのだが館内が寒くて特に第2展示館では涙目になったりする。昼食の後は上杉城史苑へ移動して最初は上杉博物館で米沢の歴史などを軽く勉強する。

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次はいよいよ上杉神社です。前回訪問時は逃した宝物館の稽照殿で兼続の「愛」の前立てや謙信の白頭巾、馬上杯などの至宝群に息を呑みます。しかしこの館内も土蔵造りゆえか寒すぎて参りました。その後は城史苑へ戻り飲食や土産物買いなのですが、「俺の城」ブロガーはこの機会を逃すわけも無く米沢城を一周するとのことで私も付き合いました。寒さで指の感覚が無くなりカメラのシャッターを上手く押せない!

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最後はお土産に米沢牛を購入するべく黄木屋へ行った後に帰宅路につきました。飯豊町の添川温泉しらさぎ荘で温泉に入り18時前に地元に到着しました。実は私も地元のくせに米織りのブックカバーを購入しました。頂いたお土産群と記念撮影です。

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私は再訪問しても歴史好きな彼らと廻ると改めて新鮮な目で鑑賞できました。米沢牛の昼食も含めて大満腹の充実した一日となり楽しかったです。

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2008年1月31日 (木)

古峰神社参拝2008(4) お土産

恒例となった今回のお土産報告。結局おもちゃ博物館で大助かり。
1号・・・お菓子・合格祈願お守り
2号・・・お菓子・知恵の輪守り
3号・・・おもちゃ(ファミレスオーダーターミナル)・
    ドラえもんキーホルダー・ハローキティ髪結
4号・・・おもちゃ(ミニユンボクレーン・ゲキレンジャーヌンチャク)
  家・・・伊香保の温泉饅頭・水沢うどん

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反応(大体は予想どおり)
1号・・・2号と分けた自分のサザエさん焼きが外れてしまい文句ちんたら・・・。
2号・・・怪しいお守りに苦笑い。(しっかり勉強しろ!)
3号・・・全て気に入り使っている。ターミナルは4号もお気に入り。
4号・・・本命のはずのユンボクレーンに反応は鈍い・・・。家内も作れそうな
    柔らかゲキレンジャーヌンチャクが偉く気に入りポーズ決めまくり。
    まさかそこまでの反応とは・・・!
    (ショボイくせに1050円もぼったくられた甲斐?があった・・・)

ちなみに私のお土産・・・御朱印(ここでは3種類の図柄があるのだが指定は出来ない。昨年と全く同じ図柄で残念)・交通安全お守り・厄除けお守り・雑誌『一個人』???

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本好きな私はこの手のガイド特集をよく買います。昨日アスモでも見つけた・・・。

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2008年1月30日 (水)

古峰神社参拝2008(3) 博物館と美術館

伊香保温泉街から至近の「おもちゃと人形 自動車博物館」へ向かいます。子どもも大人も瞳を輝かせるおもちゃを約3万点、世界中の民族人形やアンティークドール、昭和30年代の国産車70台などが各々のエリアに展示されていますが、実はこの他にもテディベア博物館、駄菓子屋横丁、昭和スターロマン館、ワインとチョコレート博物館、リス園があり、カップル、家族連れで楽しめる大型複合ミュージアムです。
正直この手の観光地に隣接するテーマパークのほとんどはつまらないものが多いのですが、ここは良い意味で裏切られました。

朝から酔っているオヤジ連中は「お○なのおもちゃはないんだが?ガハハ!」などと下品に盛り上がっています。面白いんだけど少し離れて歩くことにします。また館内入り口でウイスキーの紙コップ持参のオヤジは案の定注意されていました。そのオヤジたちを始めに迎えるのはテディベアです。私は思わず、「こんな酔っ払いで下品なオヤジ連中と来るところじゃないよなぁ~」と口走ってしまいました。大爆笑。

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館内各博物館の展示は非常に凝っていてマニアックさが徹底していて圧倒されます。また順路至る所に売店があり、策略と判っていても何かかしらを買ってしまう。家族連れならば破産するかも知れないので、便利であるが恐ろしい仕掛けです。酔っ払いオヤジも終いにはチョコレート売店で「オレはいっぱいカノジョいるから買うか!ガハハ」などと数個買っている始末。(似合わないよリキさん・・・)

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年間入館者数が40万人を超えるそうで「総投資額は4億円」とのことですが、1年で回収できてしまう。これを資金にしてさらにコレクションを購入して、さらに博物館も継ぎ足しで増えて行くことでしょう。ここはおススメです。みんな行くべし!

2時間ほど走り渡良瀬川の草木ダム湖を目指します。この湖畔には地元出身の星野富弘氏の「富弘美術館」があります。不慮の事故で首から下の自由を失った氏の作品はどれも口で筆をくわえて描かれていて丹念でやさしいタッチを堪能できます。魂に迫る作品群に思わずググッ、と来る私であった。バスの中で延々と呑んでいるオヤジ連中も、さすがにここでは神妙に?静かに鑑賞していたようです。

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この後は隣接のドライブインで昼食をとり、燦燦と太陽が降り注ぐ中を酔っ払いを乗せたバスは足尾、日光経由で東北道にて大雪の現実へ引き戻してくれました。

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2008年1月29日 (火)

古峰神社参拝2008(2) 初めての伊香保温泉

古峰ヶ原から鹿沼ICへ戻り東北道を南進して佐野藤岡ICから国道50号に入り西進して前橋市を目指します。やがて渋川市に至りここから榛名山へ登りほどなく伊香保温泉に到着しました。ここは石段街が有名で一度は歩いてみたい温泉街でした。

大型の旧態然としたホテル轟が今宵の宿泊宿です。ここは幹線道路沿いで温泉街とすれば下方となります。石段街が有名な伊香保温泉は山頂から源泉が出ており、それを山添いに下まで引き各軒に分けているのかな。その引泉ラインに石段を作り左右に軒を連ねた伊香保温泉街は我が国初の温泉計画都市なのです。ゆえに訪問したからにはこの石段街を散策しなければ意味が無い!
宿泊ホテルの宴会が終了した後にひとり鼻息を荒くして出動しました。さすが標高800mでの、この時期の夜は冷気に包まれています。カメラを操作しやすいように指きり手袋ですが瞬く間に指の感覚が奪われました。三脚なしの夜間ですがISO1600まで上げて手持ちで撮影しています。(それでもこの程度のノイズで済んでいる!)

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さりげなくグループやカップルが多く3組ほど写真撮影を頼まれました。射的屋が多くそこでワイワイしている姿も羨ましい。ひとりでは気後れします。ひとつ路地を入ればスナックなどの飲み屋さんも多く歓楽街の様相を呈しています。

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翌朝は昨夜のラーメンで胸焼けがして5時に目が覚めました。3回目のお風呂の後、朝も石段街へ7時からの朝食をキャンセルしてまたひとり出撃しました。明るければまた見えるものも違うものです。吐く息がことさら白く相変わらず指もちょん切れそうな冷たさです。カメラのバッテリー消耗も異常に早いです。

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約1時間の散策でしたが時間が許せばまだまだ見たかったです。石段街頂上の伊香保神社まで行きましたが、さらに奥の源泉湧出点まで行ってみたかった。しかしあの石段街は興味が無く健脚でないと苦痛以外の何ものでもないでしょうね。まだまだ開拓したい余地が多いのでまた行きたいです。

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2008年1月28日 (月)

古峯神社参拝2008(1) 古峰神社にて

今年も親の代理で古峰ヶ原古峰神社へ参拝して来ました。まだ昨年の記憶は鮮明に残っているので参拝要領も手際良くこなせました。6時半過ぎに大雪の中を出発です。

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県内は大雪でしたが福島県に出ると平地に雪はほとんどありません。栃木県に行けば太陽が燦々と降り注ぎ、本当に同じ国か?と呆れてしまいます。鹿沼ICから約1時間で古峰ヶ原へ到着です。途中の参道ではサイクリストの姿も確認出来ました。

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今回は他の参拝者が非常に少なくて速やかに祈祷も終了しました。3月上旬が最も混雑するらしく、その時は祝詞を述べるだけで1時間半もかかるとか・・・。
手渡されたお札の名前などを確認して土産物の札やお守りを買ったりしながら昼食処へ移動して大役は終了します。

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