県境とは行政上の境界線にすぎないが、実は完全に県境、市町村境が確定している県は全国でたった9県しかない。その境界を決めるにあたっては全国各地で悲喜こもごものドラマがある。歴史上のいきさつ、文化風習の違い、利害関係などが複雑に入り乱れていて、現在でも容易に確定できないらしい。ゆえに今日我々が目にする地図上の線は実は何となく曖昧なものが大半である。例えば富士山頂上近辺や十和田湖など、場所によっては線が無いのはそういうことである。まぁ世の中は国境問題もあるのだから県境も当然と云えば当然なのだろう。
さてそこで以前から県境に関して非常に不思議と思っている身近な場所がある。我が家のトイレに山形県地図を貼ってあるが、実はその左下に問題の個所はある。いつも不思議にジーッと見つめているのだ…。
細いへんてこりんな福島県が約7.5km延々と続く、日本一摩訶不思議らしい山形、福島、新潟3県の県境である。それがこの本で解説されていたのだ。 以下本文抜粋。
これは明治時代に福島県の県庁が北東端に偏りすぎているということで、県庁移転問題が起こったことが原因である。そこで広大な福島県の北西部(東蒲原郡)を新潟県に移管することで問題の解決は図られたが、飯豊山の帰属をめぐる県境紛争が新たに勃発してしまった。これまで山形と福島の県境付近にそびえていた飯豊山が新潟県側にも組み込まれてしまったことで話がややこしくなってきた。飯豊山は五穀豊穣を祈る信仰登山が盛んな特別な山であり周辺住民の思い入れは特別である。
福島県側の言い分は、飯豊山神社は一ノ木村(現・山都町)に鎮座しており、飯豊山頂にある飯豊山神社の奥の院も一ノ木村の土地であるというものだった。これに対し新潟県の寒川村(現・阿賀町)は、1888(明治21)年7月に新潟県知事に対し、飯豊山は古来越後の山であり、飯豊山神社は寒川村の土地に鎮座している、税金も寒川村で納めていると反論した。ゆえに両村の対立は県境紛争へ発展して行き、これを打開するべく両県は国の裁定を仰ぐことで合意した。
それから20数年間は大きな進展が見られなかったが、このままでは地域経済の発展を阻害しかねないと、1907(明治40)年8月に県の技師や査定官、両村長らが実際に現地調査を綿密に実施。その結果、一ノ木村側の主張が全面的に認められることになり、飯豊山神社およびその境内、登山道は一ノ木村、福島県に帰属するという裁定がなされた。
そのために山形、福島、新潟3県が接する付近に、実際は約1m弱幅のまるで蛇が這いずっているかのような奇妙な県境が引かれることになったのである。
ということで、実はわずか1m弱幅の登山道を軽くジャンプするだけで山形県から福島県を通り越して新潟県に着地できるというわけだ。今度ぜひ実行してみよう。
このように全国の不思議と思われる県境は何かしらエピソードがあり興味深いものだった。この本は地理だけでなく歴史と政治の本とも云えて話のネタが満載です。
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